大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和43年(ワ)243号 判決 1969年9月26日

原告

金高敏夫

ほか一名

被告

島田章

ほか二名

主文

一、被告らは、各自原告金高敏夫に対し二、五〇一、九六〇円およびこれに対し昭和四二年八月一六日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告金高敏夫のその余の請求および原告睦子の請求を棄却する。

三、訴訟費用は原告金高睦子と被告らとの間においては全部同原告の負担とし、原告金高敏夫と被告らとの間においては、同原告について生じた費用を三分し、その二を被告らのその余の費用は各自負担とする。

四、この判決は仮に執行することができる。

事実

第一、申立て

(原告)

一、被告らは、各自、原告金高敏夫(以下原告敏夫という、その余の原被告も同様に姓を省略する)に対し金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年八月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告らは、各自原告睦子に対し金五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年八月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

(被告章)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告福寿、同雪野)

請求棄却

第二、請求原因

一、事故の発生

原告敏夫は、昭和四二年八月一五日午後四時四五分ころ、市原郡南総町平蔵六七〇番地路上において、第二種原動機付自転車(以下原告車という)に乗り、南総町牛久方面から大多喜町方面に向けて南進中、対向し北進してきた被告章運転の普通乗用自動車(千五は二一四〇号、以下被告車という。)にはねとばされ、入院加療九箇月(通院加療一箇年以上)を要する右大腿骨々折、右下腿複雑骨折、頭部挫傷、顔面部挫滅創などの傷害をうけた。

二、帰責理由

1  被告章は、被告車を運転し、前記場所にさしかかつた際、道路左側の風景に眼をうばわれたまま時速四〇粁以上の速度で、わき見運転を続け、前方注視の義務を怠つた過失により、中央線を越えて道路右側に侵入し対向進行中の原告車に気付かず、これに衝突はねとばしたものであるから、民法七〇九条により原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

2  イ、被告福寿、同雪野は、夫婦であるが昭和四二年二月七日被告車を日産サニー千葉販売株式会社から買い受けてこれを共有し、ともに運行の目的で管理し、共々平常の家事や慰安のために運転しており、本件事故当日は、その家庭の慰安旅行のため、右夫婦とその間の子供二名、被告福寿の弟、および被告章の合計六名が被告車に乗車し、房総方面に遊び、被告福寿と被告章が交互に運転して、帰宅の途中に本件事故を惹起したもので、被告福寿と同雪野の両名が、被告車の運行を支配し、運行利益の帰属主体となつていたものであるから、右被告両名は、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)三条により、原告らの蒙つた後記損害を各自賠償すべき責任がある。

ロ、かりに本件事故車の所有権が被告雪野にのみあつたとしても、(一)、右被告両名は夫婦であり、(二)、夫婦間に特段の財産もないばかりか、個々の独立財産もなく、(三)、生計は従業員をおかず共に理容師として稼働している理髪業に一切を依存し他に特段の収入も支出も考えられず、(四)、被告車購入にあたつても右家業の収入から資金をあてており、(五)、副業のボールペン製造加工も夫婦の共同事業であり(被告福寿が関与していないわけではなく原料製品の運搬を分担している)(六)、被告雪野は自動車の運転資格をもたず、被告福寿のみが資格を有し、他に運転者を雇用しているわけでもなく、(七)、被告車の運転、掃除、修理等の管理一切は被告福寿のみが担当して来たものであり、(八)、被告車の使用目的も特に限定されておらず、被告福寿、同雪野の家庭のために常時運行されて来たものである。従つて売買契約書の買受人名義や、使用者名義が被告雪野になつていたからといつても、右のような夫婦協同体下にあつては夫婦共に運行供用者というべきである。

ハ、被告福寿および同雪野の答弁の二の1の自賠法二条の法律解釈については争わない。同二の2のイを認める。同二の2のロおよびハは不知。なお同二の2のハにつき被告雪野が単独で被告福寿と全く関係なく被告車を購入したということは否認する。

三、損害

(原告敏夫)

1 逸失利益 一、〇九二、九六〇円

イ、原告敏夫は、本件事故により前記傷害をうけ昭和四二年八月一五日から、昭和四三年四月二六日まで千葉労災病院にて入院治療を受けたが、右受傷の結果、右膝関節硬縮、右くるぶし関節硬縮となり、いわゆる「びつこ」となるとともに右眼瞳孔拡散のためその機能を著しく減少するという不具となつた。

ロ、右後遺症は、労働基準法施行規則別表、身体障害等級表第一〇級に該当し、労働省監督局長通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号別表労働能力喪失表によると労働能力喪失率は二七%にあたる。

ハ、原告敏夫は、本件事故当時満一六歳であつたが、一六歳男子の平均就労可能期間は、労働省発表の就労可能年数表によると、今後四〇年の稼働が可能である。

ニ、原告は、現在高校生であるが、高校卒業後の男子二〇歳ないし二四歳の平均賃銀は、労働省発表の賃銀センサスによると、全国平均賃銀一ケ月あたり二五、三〇〇円と認められる。

ホ、そこで、平均賃銀二五、三〇〇円(一ケ月)の一年分三〇三、六〇〇円に稼働可能期間四〇年を乗ずると金一二、一四四、〇〇〇円が労働可能期間の平均収入と計算される。それに前記労働能力喪失率二七%を乗ずると喪失金額は三、二七八、八八〇円と計算される。これから四〇年間の民事法定利率年五分の割合による利息をホフマン式(単式)計算法によつて控除すると、原告敏夫が失つた得べかりし利益は、

3,278,880円÷(1+0.05×40)=1,092,960円

となる。

2 慰謝料 二、〇〇〇、〇〇〇円

イ、本件事故は、被告章の一方的過失によるものである。

ロ、原告敏夫は、本件事故により生死の予測もできない重態におちいり、医師のすぐれた技術と母および友人の熱意によつて、幸に一命をとりとめたものの、その後九箇月にわたる苦しい病床生活を送らざるを得なくなつた。

ハ、その上前記の如く、右足はびつことなり、右眼はその機能を著しく減少し、これからの若い前途ある人生に暗い負担をになわせられた。

ニ、また右不具疾患のため、今後一年以上の通院加療を必要とされており、いまだに頭痛等になやまされている。

ホ、また原告敏夫は、事故当時千葉県立大多喜高校二年生であつたが、一年に近い長期療養のため、休学を余儀なくされ、留年するのやむなきに至つた。

ヘ、しかも不具疾患のため通学も遠距離では不可能なので、母と離れて、学校前に下宿生活を送らざるを得ない。

以上のごとく原告敏夫が本件事故によつて蒙つた精神的損害は計り知れないものがあるが、一応これを慰謝するには二、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。

3 被告から受領した金額

原告敏夫は、見舞金として、被告章から三五、〇〇〇円、被告福寿、同雪野の両名から五六、〇〇〇円を受領した。

4 右1および2の合計三、〇九二、九六〇円から3の合計九一、〇〇〇円を差引くと三、〇〇一、九六〇円となるので本訴において、右のうち金三、〇〇〇、〇〇〇円を請求する。

(原告睦子)

原告睦子は、夫栄吉と昭和二二年八月五日結婚し、長男原告敏夫、長女行江を得たが、右栄吉が同四〇年一二月一八日長期療養の結果病没したため、以後、看護婦として大多喜町河崎病院に勤めて一家を支えて細々とした生活のなかに子供らの成長を楽しみにしていたのであるが、本件事故により原告敏夫の、死亡にも匹敵する受傷により精神的苦痛を味あわせられ、その上数ケ月にわたる付添看護の必要上、右河崎病院を退職して原告敏夫の病床につきそわなければならなかつたため、一家は収入の道をたたれ、生活扶助によりかろうじて糊口をしのぎ、敏夫の病状が好転した同四三年一月二六日から表記住所地の川野病院に勤務先を得て稼働するに至つたが、このため一家は離散するのやむなきに至つた。

以上の精神的損害を慰謝するためには五〇〇、〇〇〇円を相当とする。

四、結論

原告らは、以上の理由により、被告らが、各自、原告敏夫に対し、三、〇〇〇、〇〇〇円、原告敏子に対し五〇〇、〇〇〇円、およびこれらに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四二年八月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による金員を支払うことを求める。

第三、答弁

(被告章)

請求原因事実中、一および二の1を認めるが、その余はすべて不知。

(被告福寿、および同雪野)

一、請求原因事実中、一、および二の2のうち被告雪野が被告車の保有者であり、運行供用者として責任のあることを認める。同二の2のうち被告福寿が被告車の保有者であることを否認する。同二の1、同三は、すべて不知。

二、なお被告福寿は、被告車の保有車ではないことについて詳述する。

1 自賠法二条の保有者となるのには、自動車を使用する権利を有すること、自己のために運行の用に供することの二つの要件が必要である。自動車を使用する権利は、所有権、使用貸借、賃貸借、委任等正当なる権限に基づく使用権をいうものであり、自己のために運行の用に供するとは、自動車の使用についての支配権とその使用により享受する利益とが自己に帰属することを意味する。

2 被告雪野が被告車を買い求めることになつた事情は、次のとおりである。

イ、同被告の父剛夫は、理髪業をしており、同被告自身も理容師の資格があつたので、同三三年一一月頃、理容師の資格のある被告福寿と結婚し、妻の氏鈴木を称し、被告雪野方で同棲し理髪業を営んでいた。

ロ、被告雪野方の家計の賄いは、同被告が被告福寿と結婚後も父剛夫が担当しておつたが、同四〇年初頃父剛夫が被告雪野の兄信義方へ理髪業の手伝いに行くようになつてから同被告が担当するようになり、被告福寿は婿としての立場上毎月小遣い三、〇〇〇円を受けていた。

ハ、被告雪野の妹鶴岡みつは、市原市牛久に嫁入り、夫が小間物雑貨商であつたが、東京の工場よりサインペンの材料を持つて来て地元の主婦などに配布し、できた製品を東京へ持つて行く所謂下請をしていたが、手が廻らなくなる程忙しくなつたので、同被告に自動車を買つてサインペンの内職の仕事を手伝つてくれ、自動車代やガソリン代は内職の収入で支払えるからとすすめた。

同被告は、理髪業の方も田舎でそんなに忙しくないので、手伝うことになり、同四一年二月一二日マツダファミリアの中古車を買い求め内職の仕事を始め、妹方から材料を運んで内職する主婦などに届けできた製品を集めて牛久の妹のところへ届けたり、場合によつては東京の工場まで運搬したこともあつた。被告福寿は、自動車運転免許証を受けていたので理髪業の余暇を見て、また休日などに、被告雪野から頼まれて運転したものであり、内職の収入および経費の支出等はすべて被告雪野が担当していた。

その後右中古車が故障して困るので、被告車(日産サニーの新車)を同四二年二月頃被告雪野名義で買い求め、同被告が市原養老農業協同組合より二一〇、〇〇〇円借金して支払つたものである。

3 以上の事実からすれば、被告車は、被告雪野が所有権に基づき使用する権利があり、同被告が内職のサインペン組立の下請け事業のために買い求め使用していたものであつて、使用についての支配権と、使用によつて受ける利益は同被告にあることが明らかであるから、保有者は同被告であつて、被告福寿ではない。

第四、証拠〔略〕

理由

一、事故の発生

請求原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二、責任

1  (被告章)

原告らと被告章との間において、請求原因二の1の事実は、当事者間に争いがないから、同被告は、後記損害について賠償すべき義務がある。

2  (被告雪野)

原告らと被告雪野との間において、請求原因二の2のうち同被告が被告車の保有者であつて、運行供用者としての責任があることは、当事者間に争いがないから、同被告は、後記損害について賠償すべき義務がある。

3  (被告福寿)

〔証拠略〕を総合すると、被告福寿同雪野は夫婦であり、ともに理容師として理髪業を営むかたわら、一緒に副業としてのサインペンの内職をしており、被告車を副業の材料や製品を運搬するために被告雪野名義で購入したこと、被告雪野は、被告福寿との結婚当時(同三三年)も現在も被告雪野自身の財産というものは有しないこと、従つて被告車の購入代金は右夫婦でともに働いて得た収入すなわち共有の財産から、被告雪野が支払つたしものと推認できること、被告車は副業のみに限らず使用され、被告福寿によつて日頃運転され連行されていたこと、車の運転資格は被告福寿のみが有し、被告雪野は有しないこと、被告車の運転、管理一切を被告福寿がしていたこと、などの事実を認めることができ、以上の事実からすると、被告車の運行に対する支配と運行利益の帰属者は被告雪野のみではなく、被告福寿、同雪野の夫婦両名であることが明らかである。従つて被告福寿も、自賠法三条により、後記損害を賠償すべき義務がある。

三、損害

(原告敏夫)

1  逸失利益

イ、〔証拠略〕によれば、原告敏夫は、昭和二六年三月一〇日生れの男子であり、事故当時には千葉県立大多喜高校二年生であつたが、その後休学したため同四四年二月一〇日当時も同学年であり、事故がなかつたならば同四四年三月に卒業していたもので、事故のため同四五年三月卒業予定であるが、本件事故による前記傷害のため、昭和四二年八月一五日千葉労災病院に入院して、治療を受け、昭和四三年四月二六日退院したが、右膝関節硬縮、右くるぶし関節硬縮となりそのため肩をひねつて足を引いて歩く、いわゆる「びつこ」となり、その他、右眼瞳孔拡散のため右眼の痛み視力減退など、その機能を著しく減少し、頭痛をともなうなどの後遺症が残り、右後遺症のため退院後も千葉労災病院に通院していたことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

ロ、原告敏夫の右認定による後遺症の程度は、労働基準法施行規則別表身体障害等級表にあてはめると、同表の障害等級第一〇級に該当し、労働基準局長通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号別表労働能力喪失表によると、これは通常人の労働能力の一〇〇分の二七を喪失しているとされる。

ハ、原告敏夫が高校を卒業するはずであつた四四年三月末には、同原告は一八歳で、その後平均余命は、昭和四一年の簡易生命表によつても、五二年余存在し、男子一八歳の平均就労可能期間は四〇年と認められるから、その後四〇年の稼働が可能である。

ニ、労働省発表の賃銀センサスによると、男子二〇歳ないし二四歳の全国平均賃銀は一箇月二五、三〇〇円と認められる。

ホ、したがつて、原告敏夫が高校卒業後五八歳に至るまで一箇月平均二五、三〇〇円の賃銀で四〇年間稼働して得べかりし額に労働能力喪失率一〇〇分の二七を乗じた金額をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、一時に支払を受くべき金額に引直した金額は次のとおり一、〇九二、九六〇円となる。

(25,300×12)×40=12,144,000円(四〇年間の賃銀にみあう額)

12,144,000円×0.27=3,278,880(利益の喪失額)

3,278,880円÷(1+0.05×40)=1,092,960円(中間利息を控除した額)

ヘ、右計算は、昇給率を考慮に入れていないのであるから、原告敏夫の得べかりし利益は、右金額を超えることはあつても、これを下廻ることはないものと認められる。

2  精神的損害

原告敏夫は、本件事故により前記の重傷を負いかつ後遺症をのこしている。〔証拠略〕によれば、原告敏夫は現に通院中であり、現在でも右足および右眼の不自由以外に時々頭痛を訴えており、日常生活の不便、疲労も著しく、これらの肉体的、精神的な苦痛は甚大であることが認められる。

右事実と本件事故の原因・態様・被告章の一方的過失など諸般の事情をしん酌すれば、原告敏夫が本件事故により受けた精神的苦痛を慰藉するためには一、五〇〇、〇〇〇円をもつて相当とするものと認められる。

3  損益相殺

原告敏夫は、被告章から三五、〇〇〇円、被告福寿、同雪野から五六、〇〇〇円合計九一、〇〇〇円を見舞金として受領したことを自認しているので、右1 2の合計二、五九二、九六〇円から右九一、〇〇〇円を差し引いた二、五〇一、九六〇円が原告敏夫の損害ということになる。

(原告睦子)

原告敏夫の本件事故による受傷は当事者間に争いのない請求原因一の事実摘示の程度、後遺症は前記三の1のイ認定の程度であつたこと、前述のとおりであつて、他に右傷害の程度が死に比肩する程度のものであつたことを認めさせるに足る証拠はない。そうだとするとまだ被害者の母は自己の権利として慰藉料を請求することができるものとはいえない。

四、以上のとおり原告敏夫の請求のうち被告らが各自、原告敏夫に対し、本件事故による損害金二、五〇一、九六〇円およびこれに対する本件事故の翌日である昭和四二年八月一六日から支払ずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める部分は理由があるので、その限度でこれを認容し、原告敏夫のその余の部分および原告睦子の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 木村輝武)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例